情報歴史社会学入門メモ(14) 2014.07.14

今回は最終回で纏めです。

5時40分までに講義を終えて質問票への記入と授業評価アンケートを行いますので協力してください。

また、今回の質問票への回答は、授業のWEBページに掲載します。

講義のまとめ

今まで、様々な話題について話してきました。しかし、実はこの講義の話は常に一つのテーマを意識しています。

それは、「現代の資本主義社会とは何なのか?その過去・現在・未来は?」という問題です。

この講義では、それを歴史社会学の手法を使って分析しました。その指導原理は、次の二つでした:

  1. 情報技術が偶然に生まれて、現在の情報社会が生まれたのではない。資本主義が、その本質を実現するために生み出した技術が情報技術に他ならない。
  2. その故に、現実社会における情報技術を歴史学的・社会学的に分析すれば、現代の資本主義のルーツと現状、そして、未来が見えてくる。

資本主義の問題は、様々な側面を持ちますが、その内で、この講義で取り上げた具体的テーマは、「アダム・スミス以来の近代資本主義における資本と個人の関係」でした。(労働者とはいわず個人と言っているのは意図的です)。

講義資料は、(14)という番号がついている今回のものを除き、(1)から(13)までありますが、これらが、この具体的テーマについて、何を語っているか確認してみましょう。以下、(1)(2)などは講義資料の番号です。

ちなみに、講義のページの資料のリストでは1から13までありますが、これが丁度、(1)から(13)に対応しています。

最後の項目の、二つの映画の差は、機械とIT、つまり、HANDからBRAINへの変化が主でした。

しかし、この二映画の差には、さらに二つ大きなポイントがありました。

それは現代の資本主義の最大の問題として、この数年議論が高まっている「スーパーリッチ」、つまり、貧富の格差の拡大の問題、そして、生命科学の問題です。

予定では、感情労働の問題を、社会学などでいう再魔術化の問題として、アマゾンからLINEに至るWEBビジネスの変遷に着目して、もう少し掘り下げる予定でしたが、林が開学記念日の休講を計算に入れてなかったために時間が足りません(つまり、極く最近まで、もう一回あると勘違いしていた)。

そこで再魔術化とWEB上の感情の話は止めて、この二つの話、貧富の格差の拡大と、生命科学の問題に簡単に触れて講義を終りたいと思います。

21世紀の「資本論」

マルクスの「資本論」の原題は、Das Kapital、つまり、直訳ならば「資本」です。

そして、今、世界中で、Le Capital au XXIe siècle (直訳ならば、21世紀の資本)というフランス人経済学者T.ピケティの著書が「21世紀の資本論」として話題になっています。

この本のテーマは、このところ世界中で議論の的になっている(ただし、日本では、まだ、あまり話題になっていない)持てるものと持たざるものの格差拡大です。

ピケティの主張は、彼が資本主義の根本的矛盾と呼ぶ「貧富の格差が拡大するのが資本主義の自然状態である」という法則です。この法則の根拠は、r > g という不等式で、r は return on capital の, g は economic growth の率をあらわしており、簡単にいうと、資本を投下して得る利益の方が、経済規模の拡大で得られる利益より大きい、ということで、もっと簡単に言えば、働いて得る利益より、投資して得られる利益の方が大きい、つまり、金持ちはより多く儲かるということです。

ピケティの論点の最も重要なポイントは、「我々が直接知る時代には、この矛盾が起きないように見えたが、それは実は1910年ころから1950年ころまで、二つの世界大戦という大混乱のために資本が大きな痛手を受けたという「異常事態」のためであり、第一次世界大戦が起きるまでの、そういうことが起きなかった安定した時代、特にフランスでベル・エポックと呼ばれている時代には、この法則の故に貧富の格差が大きかった。現在は、その定常状態・自然状態に戻りつつある時代なのだ。だから、自然放置しておけば、21世紀には、さらに格差は拡大していくのだ」という主張です。

ピケティは、このことを主に、フランス、イギリスなどの過去の経済統計を元に、比較的簡単な経済学の議論を使って導き出しています。参考リンク   

ピケティの議論は、マクロな経済の指標を使った議論が主で、技術の経済への影響などの分析がほとんどないのですが(カルロス・スリムとビル・ゲイツについて議論したところで、少し情報技術について書いていますが、正直に、自分は良く知らないとしています)、情報技術と資本主義経済との関係に注目する、この講義の観点からすると、IT技術が、この r の増大をさらに引き上げているのではないかと、林は思っています。

ひとつの根拠は、世界と日本のトップの富豪たちが、何から収益を得ているかです。面白いことに、日本の3人のトップ、世界の二人のトップ、そして、このリストには現われませんが、実は、一族としては、ゲイツ以上の富豪とされるアメリカのスーパーマーケット・チェーン、ウォルマートの創業者家族であるウォルトン一家を見ますと、皆、通信、IT、小売が、その職種です。つまり、随分前の質問にあった「小額を多くから得るのと、多額を少数から得るのと、どちらがより多くの利益を得られるか」ということで言えば、事実としては、大富豪の多くは、「小額の商品を膨大な量販売して儲けている」ということになります。

そして、官僚制とツリー構造の所で説明したように、この膨大な量を操作することを可能にしているのは、ド・プロニーの対数表計算プロジェクトやバベッジの階差エンジンの時代の末裔である、現代のITなのです。そして、アマゾンのFCは、その目に見える実例だったわけです。

孫正義さんや三木谷さんは、直接、ITで儲けていますが、柳井さんのユニクロも、ITが無ければ、あれだけの規模の小売業を効率よく維持するのは不可能です。ITで行っている在庫管理などをすべて人間に置き換えたら、おそらく人件費の圧力で、それほど儲けることはできないでしょう。アマゾンFCでピッカーという人間が、端末とその後ろにいるコンピュータに操作されていたように、エリジウムで警官ロボットにより、マックスたち貧民が統治され、また、そのマックスたちが、その警官ロボットを作成していたように、資本の下で部品としての人間を直接統治しているのは、人件費を必要としないITの機械たちなのです。

エピジェネティクスとハードディスクとしての生命

メトロポリスの労働者たちは経済的には搾取され酷使されていましたが肉体的には健康のようでした。それに比較して、エリジウムで貧民たちの生活の最も悲惨な部分として描かれ、それ故に、マックスをはじめとする多くの人がエリジウムを目指す要因として描かれていたのは、その健康の問題、つまり、病気や怪我、そして、それによる生命の危険でした。もし、貧富の差があっても、エリジウムの医療装置が、映画の結末のように、全人類に開かれていたら、おそらく密航は極端に減るだろうという印象を映画を見つつ感じた人が多いはずです。

貧富の差があっても、それによって命や健康に大きな格差が生じなければ、人々は、それを、それほど大きな問題とは感じないでしょう。しかし、貧富の差により、自分が貧しいことにより、最も愛するものが、自分の目の前で死んでいく、あるいは、自分の命が5日しかもたない。それを自分がなにもできない、そういう状況に陥った時、テロや犯罪にコミットしてしまうのは、人間の本性といってもよい自然なことであると思います。エリジウムは、それを使い、貧富の格差の拡大が社会に何をもたらすかを、SF映画とはいえ不自然であり得ない様な「健康維持装置」で強調して見せていたのです。

そこが妙にリアリティに欠けていたのは、おそらくブロムカンプ監督の「意図」だったはずです。

しかし、これが現在、リアリティを持ちつつあるのも事実です。それは生命のIT技術とでも言うべき、iPS細胞などのエピジェネティクスの登場です。

最近まで、我々の体は、DNAにより生まれた時から決定されているような考える傾向が強かったのですが、実は、比較的最近になって、遺伝子には、多くの可能性が、常に捨てられることなく維持されていて、必要に応じて「スイッチが入る」ということがわかったのです。たとえば、飢餓状態になりますと「脂肪を効率的にため込む機能」のスイッチがオンになります。そして、それは自然界では後戻りができません。つまり、一旦入れたスイッチは入ったままなので、飢餓状態の後に、食糧が豊かになるとスイッチが入った人は肥満症になってしまう、というようなことが分かってきたのです。この様なものの仕組みを研究する生命科学の分野がエピジェネティクスです。

我々がPCやスマホを使うとき、色々な設定をして、自分が使いやすいように変えていきますが、我々の体、我々の遺伝子も同じで、設定がドンドン変わるのです。そして、自然界ではそれを後戻りできない「運命」だったのですが、これを、PCやスマホが設定をやりすぎたりして、どうしようもなくなったときに「初期設定にもどす」様に元に戻す、そういう技術が、実は、iPS細胞の技術なのです。

つまり、全部帳消し、だけではありますが、後戻りできるようになったのです。そして、おそらく、将来、これを途中まで戻す。つまり、20代の自分の細胞にもどす、癌になる前の自分に戻す、という様な技術が登場するはずです。

つまり、生命が、ITの様に再設定できることが必ず可能なるはずです。そうなったとき、つまり、生命までIT化されてしまったとき、ピケティが主張するように、社会の仕組みを上手にコントロールしない限り、ブロムカンプが言う、貧富の格差はDNAを書き変えないとなくならない、ということになるでしょう。おそらく、それはエリジウムのような社会になるはずです。

林は、そういう社会にはなって欲しくないと思います。そうしないためには、今、目の前にある問題を、常に意識し見ていく必要があるのです。