情報歴史社会学入門メモ(11) 2014.06.25

質問票への回答のための資料

前回の資料

ツリー構造には、深く関連しながらも異なる二つの側面がある:

側面1は、ツリーの図などを使いながら上で説明した話。つまり、アダム・スミス、バベッジ、ド・プロニーの分業の効率性のこと。

側面2はウェーバー官僚制の定義で話した内容の幾つかを言い換えたもの。

ツリーとしての官僚制の欠点と Japanese model による改善

先にギデンズの日本型モデルの話をしたが、ギデンズが日本型モデルの特徴としたものは、実はウェーバーの官僚制論の「官僚制の特徴」、特に側面2の特徴に反するものだった。

ウェーバーが「現代的」官僚制の特徴として挙げた条件を Anthony Giddens, Sociology,7th edition, p.826 の記述を使って説明したもの(先に示したもののコピー)

  1. 職権の階層構造:官僚機構はピラミッド構造を持ち、トップから 底辺へ命令が整然と流れる。各メンバーは、その直下のメンバーをコントロールする。 いわゆる、トップ・ダウン型意思決定で動くということ。
  2. 成文化されたルールで動く。ただし例外はあり、より上位のメンバーは、より多くの意思決定の自由を持つ。
  3. メンバーはフルタイムの給与制で雇われる。給与は「職」により定義される。 
  4. 成員の「生活」(人生)は、その「職」と分離されている。
  5. 官僚制システムのメンバーは、そのシステムの所有者ではない。

これに対してギデンスの日本型モデルは、次の5つを特徴とした from Giddens "Sociology":

  1. ボトムアップ型意思決定
  2. 非専門化傾向
  3. 確実な雇用
  4. グループ生産
  5. 仕事と従業員の個人的生活の融合

以上の5つを説明

小泉改革あたりからかなり様がわりしているが、日本の工業の強さが世界的に注目されて、21世紀は日本の世紀に なると言われていた Japan as No.1 の時代(一九七〇年代終わりからバブル崩壊まで)、日本企業の強さの原因としてあげられたものに次のようなものがある:

「グループ生産」以外は、これらの特徴が、ギデンズの1-5に相当する、あるいは、それを導くことがわかる。

そして、これらの多くが官僚制という言葉が与える「冷たい」「非人間的」「機械的」な印象に反するものになっている。

しかし、日本型モデルでもツリー状の構造は殆ど崩れていない

日本型システムは実はツリー状の官僚制の持つ欠点である硬直性を、色々な工夫で緩和したものとなっている。

たとえば社員食堂で社長と新入社員がたまたま隣り合わせて、職場の問題点を話し合う情況は、ツリーのトップのノードとずっと下のレベルのノードが直接に結び付けられているということ

これは言ってみればPCのフォルダのずっと下のファイルへのショートカットがあるようなもの。しかし、ショートカットを作ってもフォルダーのツリー構造が崩れているのではない。 (このリンクは、WEBで掲示したものでは見ることができません。)

このアナロジーからすれば、日本型モデルのボトムアップ型という性格の一つの実例はツリー状のフォルダー構造での、上と下で遠く離れたフォルダー・ファイルを簡単にアクセスできるようにするショートカットのような工夫だといえる。

官僚制の本質を完全に崩したわけではない。たとえば、日本の会社にもやはり社長、重役、部長、課長、係長という職階はある。

日本型モデルと感情労働: ブラック企業問題

ブラック企業が問題となり、昨年からは厚生労働省、労働局なども調査をするようになった。   

実は、このブラック企業が日本型モデルの負の側面が顕在化したもの。

日本型モデルは、官僚制が切り捨てた感情を、生産のために再導入した。それがブラック企業を生む結果となった。

そして、実は、日本に限らず、現代は、この「生産のための感情」「競争に勝つための感情という燃料」の問題が大きくなっている時代。

これを、社会学の「感情労働」の理論を使い分析する。

ここから今回の資料

感情労働の理論

感情労働 感情を使用しておこなわれる労働

アメリカの社会学者ホックシールドによる The managed Heart: Commercialization of Human Feeling (1983)、邦訳「管理される心―感情が商品になるとき」で提唱され広まった概念。

以下では、それを拡張した意味で使う。少なくとも、現在の日本の一般的用語としては、これから説明する様な意味で使われているケースが殆ど。ホックシールドのオリジナルでの使い方は、林は最近ものでは見たことがないほど。

このオリジナルの定義と今日の日本での使われ方の違いは、Wikipediaの英語版と日本語版を比較すると明らか。

まず、オリジナルの説明

原著、2012版、p.7での定義と林の訳:

原著本文:This labor requires one to induce or suppress feeling in order to sustain the ourward countenance that produces the proper state of mind on others...

原著脚注:I use the term emotional labor to mean the management of feeling to create a publicly observable facial and bodily display; emotional labor is sold for a wage and therefore has exchange value.

本文訳:この労働(感情労働)では、それが他者(顧客など)の然るべき心理状態を生み出すことになる、自分の表情・外見を保つために、感情を誘発したり抑圧したりすることが必要とされる。

脚注訳:私はこの用語(感情労働)を「公的に観察可能な表情や仕草を生み出すための感情のコントロール」のこととして用いる。感情労働は賃金のために売り渡されるものであり、その故に交換価値を持つ。

ホックシールドの著作では、感情ルール(feeling rules)、などによる、感情(feeling)の管理(management)が組織(institutions)により行なわれていることが示された。

ホックシールドの著作ではデルタ航空のキャビン・アテンダントのケースなど、主にサービス業における感情労働が分析された。(デルタ航空の訓練所での感情管理などが分析された。)

他の例としては医者、弁護士など挙げられている。たとえば医者が氷の様に冷たい対応をすると、医療行為自体が優れたものであっても、患者が不安感を抱くことになり医療の結果にも影響すうることがある。そのため、医師は感情面でのケアも考慮して仕事をしなくてはならない。

これらの場合は感情労働者が労働の結果として提供する生産物そのものが感情であるケースが多い。例えば、笑顔、客の難題に対する忍耐、同情、など。

重要なポイント: surface acting と deep acting

ホックシールドは、感情労働をロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーの演劇理論(Stanislavski's system)の概念を援用して、次の二つに分類した:

マクドナルドで働くには無料の笑顔の surface acting で十分だが、ディズニーランドのキャストは deep acting を求められている。

surface acting は、それほど大きな問題ではない。問題は deep acting。

これは労働者からみれば、自らの人格がシステム(会社、組織)によりコントロールされる、あるいは、自らでコントロールする(これも自発的コントロールと他者からの間接コントロールの二つがある)、ことを意味し、要するに人格が、自己の内部だけでなく、外界の何かにより、あるいは、何かを志向して操作(コントロール)されることを意味し、自発的な感情でない感情、が強いられることとなる。

自らが強いることもあることに注意。「こんなことで負けてはいけないんだ。辛くても頑張ろう!」など。

この講義の意味での感情労働とは?

この講義では、Hochshcildの感情労働の定義のうち、次の三つの部分を削除したもので感情労働を定義する:

また、surface acting は、本当の感情労働から除外する。

その結果、上の三つの削除を行い、脚注訳を先にし、本文訳を続けて書き、さらに deep acting であることを付け加えると、次のような、 この講義での感情労働の定義になる。そして、これは日本語 Wikipedia での説明によく似たものになっている。(少し文章を補ってある。)

なぜ、この様に変更したか?

ホックシールドの研究は、ブルーカラーの筋肉労働(Heart)、ホワイトカラーの頭脳労働(Brain)、という単純な二分法ですませていた労働概念に、労働とは無縁のものと考えられがちだった感情(Heart)の問題が導入されるべきことを明らかにしたことで、理論的に興味深いものだった。

しかし、この当時、感情労働が、大きな社会問題となっていた形跡は、全くない。この当時(80年代)は、まだまだアメリカの中間層が豊かだった時代で、感情労働者の例としてあげられた、フライト・アテンダント、大学教授、医師、弁護士、などの職に大きな問題があったとは言えない。

この講義でこれを取り上げるのは、、また、今の日本で言及されることが増えているのは、こういう比較的良い社会クラスの人の感情労働ではなく、日本型モデルの成れの果てであるブラック企業などにおける、弱い立場の人たちにおける感情労働が、現実に、この日本で存在するから。

それを分析するには、1980年代のアメリカの感情労働概念では十分ではない。だから、ホックシールドの理論に纏わりついていた労働の種類の特殊性をはぎ取り、また、日本で問題となっている「企業・組織による感情コントロール」を強調した定義にした。

その定義が、Wikipedia 日本版の定義と似通ったものになっていることは、この問題が、社会的に憂慮されていることの一つの証拠だろう。

もう少し変更理由の説明

deep acting の問題点

surface acting は、acting する人(actor, 労働者)の人格の変更を強いることが少ない。しかし、deep acting は情況によっては人格も変えてしまう。

役者の場合は、映画の撮影、演劇の公演は一過的。撮影中に役になりきっていても、撮影が終われば自分に戻れる。

しかし、通常の職業の場合、職業に従事する人生の期間は長い。終身雇用の場合などは、人生のほとんどすべてが特定の職場での労働の期間と、殆ど一致してしまう。これが日本型モデルの「会社と人生の融合」にあたる。そのため、企業により人が変えられてしまう(良い方向に変わる場合もある)。つまり、人が企業・組織により操作される。これは一般に好ましくないと理解されている。

「他者(顧客など)の然るべき心理状態を生み出すことになる」という部分を削除した理由

これは Wikipedia 日本語版でも落ちている。すでにブラック企業、日本型モデルの問題点を理解しているはずの、みなさんには、これを落とした理由は明白だろう。日本型モデルで、例えば、自動車生産工場で行われる、労働者の「熱意」「家族の様な一体感」のような、日本的労働の世界で起きる deep acting で生産されるものは、顧客に感情に限られていない。日本で今問題にされている感情労働は、確かに接客業に多いが、それに限られていない。そのために、これを削除する。

その他ふたつの削除した部分

これらは、ともに感情のコミニュケーションにおける伝達の仕方についての部分である。しかし、これでは、ホックシールドの理論の後に登場したネット社会での感情労働における感情コミュニケーションが説明できなくなる。

ITの世界、WEBの世界では、主な感情コミュニケーションは文字情報やアバターを通して行われる。

したがって、感情労働は労働者の表情や動作を通して行われるというホックシールドの定義では、WEB上での「感情労働」が存在しないことになる。

しかし、実際には、会社の twitter, facebook, blog における、顧客対応、とくにクレーム、さらに炎上などのように、感情が、the outward countenacne 以外の媒体(メディア)を通して伝達されるケースは数多い。

それどころか、WEB上の匿名の書き込みによる方が、より深く感情が傷つけることが多い。

また、Twitter, Facebook などの SNS での「上司からの意図しないパワハラ」が部下にストレスを与えていることが問題となっている。

ということで、これも、現在では余計な条件になってしまっているので削った。

さらに、感情的社会行動

実は、さらに言えば、感情労働を「給与を対価として交換される価値」として定義してしまうと、たとえば、ボランティア的に行われている活動(社会行動)が考察の対象から抜け落ちてしまう。

しかし、Wikipediaのようなボランティア活動を落とすと、WEBやツイッターなどの現代社会、特にネット社会の重要な要素の大半が視界から消える。

だから、現在のWEB世界を理解しようとすると、「労働」 という用語を使うと、一番大切な状況をとらえられないこととなる。

そこで、ホックシールドが、アメリカでのコマーシャリズム的な感情操作の実態と問題点を探るために考え出した概念である感情労働を、社会学者ウェーバーにならい「社会(的)活動」(Soziale Handlungen)に拡張して考える必要がある。拡張された「感情労働」である、「感情的社会行動」の一応の定義は、

そして、人格労働、人格社会行動へ

ホックシールドは deep acting による感情労働が人格のコントロールに及ぶことを指摘している。

そのレベルに達し、自らのアイデンティティ、つまり、人格、感情、知能、などの、個人のすべてを、そのものとして(つまり、社会的ロールではなくて)、提供することを求められるような労働や行動。

一時、日本政府が提唱し持て囃された「人間力」(Wikipedia 人間力、行政における動向)は、現代においては人格レベルまでの力が労働生産性を決定することに陽にか陰にか気がついた提案であると思われる。

一見良いように見えるのだが、人格労働で、労働を低く評価されたら、人格を否定されたことになる。

入試で面接による「人格の判定」がペーパー試験より重視されたら?100点だったのに、面接で落とされたら、自分の人格を否定されたと感じる人もいるだろう。

感情を燃料として燃やす社会:感情資本主義社会

以上の様に、感情労働の定義を何段にも拡張して考えれば、ブラック企業、SNS疲れ などの問題は、すべて、過剰な感情の操作と、「流通」の問題であることは、明らかだろう。

つまり、現代社会は、資本主義システムや、IT(ネット、スマホ)などによる感情資本主義社会「感情を燃料にして働くこと生きることを強いられる社会」となっている。

もちろん、感情を燃やすことは、人間が社会的動物である以上、当然のことだ。しかし、現代は、それがITなどのシステムで、数十年前には想像さえできなかったレベルのスピードと規模で燃やされるようになっている。それに伴って、大きな問題が起きつつあるといえる。

そして、現実社会は、さらにもう一歩進もうとしている。感情労働は、殆どの場合、労働者は、自分の感情が、何のために燃やされているのかを理解できる。しかし、ITの技術を利用して、それが見えないようにして感情を燃やさせるシステムが広がりつつある。それが…

ゲーミフィケーション

ゲーミフィケーションとは、ゲーマー(ゲームをする人)の感情、例えば、征服欲功名心(目立ちたいという気持ち)、復讐心収集癖、などを上手く誘導してゲーム以外の目的を達成すること。たとえば、ビジネスに使う

航空券とか家電を買うとポイントがもらえる。このようなポイントをもらうことは、本来、購買という行為の副次的産物に過ぎないのだが、これが目的になっている人がいる。

バーゲンというのは、同じ価値のものが安く買えることに意味があるはずだが、「安く買えた」ということに意味を見出し、タクシーに乗ってバーゲンにでかけ、全体としては高くついている、というようなケースがある。

これはポイントを獲得することに人間が欲望を持つから、つまり、ゲームのようになっているからと思われる。

2年ほど前も「コンプガチャ」などのソーシャル・ゲームに非常識ともいえる額のお金を使ってしまう人が頻出して社会問題となった。

ゲーミフィケーションとは、人間の持つ本能的な欲望や習性を誘発するようにゲームを設計し、ゲームがそれ以外の世界、WEB,ネット、コンピュータ以外の世界に意味を持つようにすることをいう。

たとえば、ポイントは、それにより販売が促進されるし、それはどうしたら使ってもらえるか設計されているのでゲーミフィケーション。

オンラインゲームなどのゲーム全体も、それによりゲーム会社が利益を得るという意味ではゲーミフィケーションだが、ゲームでないものをゲームにするというニュアンスがある言葉なので(ゲーム化ということ)、ゲームそのものはゲーミフィケーションとは言わないことが多い。

2011年、Foldit というタンパク質構造予測を行うコンピュータゲームが、10年間の間、プロの研究者が解けなかった問題を解いたことが報道された。

これは結晶学の分野の問題だが、解いたのは、大勢の素人ゲーマーたちだった。

このケースは、ゲームが結晶構造の問題だとプレーヤーにわかる。

しかし、おそらく近い将来、自分が何をしているか分からない情況でゲームをさせられながら、それがまったく別のコンテキストで使われている、という情況起きる可能性が高い。

たとえば、自分ではデジタル化された世界で、空を飛びながらモンスターを倒しているつもりで、実は、ある国の上空を飛ぶ drone (無人航空機)で地上の人を殺している、という状況を想像することができる。

それは米軍の無人軍用機で現在行われていることと大きな違いはない。

ゲームを兵士の訓練に使うボストン・ダイナミックス社(グーグル社が買収)DI Guy の技術を使えば、中世の城の中でモンスターを倒しているつもりで実はアフガニスタンでイスラム戦士を倒しているシステムを作ることは可能だろう。

その様なものが実現したとき、非現実的で無意味・無害(?)と思われている、ゲームへの情熱が、軍事力、そして、資本の最大の力となる可能性は否定できない。

そういうものは日本のアニメでは良く語られてきたが、米国の軍隊やIT企業がそれを現実のものとしつつあるということ。

中世のファンタジーにカモフラージュした「戦争ゲーム」の場合には、モンスター=現実のゲリラを殺す原動力は、理念でも、米国に対する義務感でもない。

それどころか、ゲーマーは本当のことは何も知らない日本の小学生であるかもしれない。

その時、その戦争マシン(日本の小学生)を動かしているのは、ゲームに勝ちたい、という「純粋な感情」。

つまり、ゲーミフィケーションの世界の原動力は感情であり、これからの時代は、我々の感情が資本として利用される時代になるだろう。

今後の予定

あと3回で終わり。まとめていくことになります。

HANDからBRAIN,そして、HEARTへ

現在の、感情資本主義が生まれてきた歴史過程を振り返る。そのために、メトロポリスの後ろ半分をみて、そこから、マルクスの時代から、現代までの歴史を振り返る。

その後、未来を見る。

さらに、LIFEへ

HANDからBRAIN,そしてHEARTへという、メトロポリスの時代からの歴史の変遷を見た後、昨年度公開された映画「エリジウム」に、現代と近未来を見る。

世界はなんとかわってしまったことか。また、なんと急激に、さらに変わりつつあることか。

そのテーマは、ITが生み出すスーパー・リッチと貧困(トマ・ピケティの「21世紀の資本論」)、ES細胞、iPS細胞、そして虚偽に終わるとみられるSTAP細胞、などのライフ・サイエンスという生命の情報技術(エピジェネティクスリプログラミング