2014年前期特殊講義「再魔術化」資料 2014.07.17

最終回です。少し早め(20-30分位?)に終わり、授業評価アンケートを実施しますので協力をお願いします。また、質問票も、そのときに書いてください。質問票への回答は講義のWEBページに掲載します。

今まで講義で次のような話をしてきました。資料の番号は、講義のページの資料のリストの番号です。例えば、資料4とは2014.04.28の資料。

つまり、お話したのは、

  1. マック・ウェーバー由来の脱魔術化論
  2. ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの Umwelt 論という再魔術化論
  3. ジョージ・リッツアーの再魔術化論
  4. アラン・ブライマンのディズニー化という再魔術化論

の4つでした。

この内、ブライマンは、全く「再魔術化」という言葉を使っていないことは再三注意したとおりです。また、ユクスキュルも、おそらくは再魔術化という言葉を使っていないはずです。

また、再魔術化という言葉は、講義では結局取り上げなかったバーマンの再魔術化論から来ています。しかし、バーマンの議論は、逆に脱魔術化の説明では中心的な位置を占めていました。

つまり、再魔術化が現象として起きているというバーマンの指摘のみを受け取り、それを理論化しようとした部分は、無理があるもの、不自然なものと、として紹介をしなかったのでした。

つまり、上の4項目の1は、「マック・ウェーバー由来の脱魔術化」ではなく、「マック・ウェーバー由来の脱魔術化とその反転としてのバーマンの再魔術化」としてもよいのです。

この最後の議論が示す様に、再魔術化と脱魔術化は、裏返しの関係にあるため、並列して検討が可能です。これは、双方が、脱魔術化以前の、「魔術化状態」を基本にした議論になっているからです。

そして、その魔術化の説明は、バーマンとシュルフター経由のウェーバーの議論を使って行いました。そのため、資料3-7を使って講義した期間のかなりの部分が、実は、脱魔術化以前の魔術化状態の説明でした。
(バーマン、シュルフターの議論が、そうであった。)

つまり、三つの再魔術化を比較する際の最重要のキーは、実は、ウェーバーが、キリスト教や近代合理主義のような、より脱魔術化されたものより、「人間にとって無限に自然だ」とした、アニミズム的な魔術化された精神、世界観なのです。

以下、ユクスキュル、リッツアー、ブライマンの三つの「再魔術化」を、この「魔術化」、実際には、出発点なので、「化」ではなくて、「魔術にかかっている状態」とでもいうべきものへの態度を第一のキーとして、さらに補足的な5つのキーを加えて、比較してみましょう。

 

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルとその Umwelt 論

つまり、自然科学の枠組みは受け入れ、その背後に潜む哲学・世界観のみを変更して、自然科学の「現実的内容」は維持したまま「魔術化状態」を回復しようという試み。

この様な態度は、ユクスキュルを祖とすると言われる、行動科学に分類される諸分野、特に、京都大学の今西錦司グループや、コンラート・ローレンツなどの生物学(動物学)の系譜として、現在も連綿と受け継がれ、特に、科学的でないと批判を受けた京大の類人猿研究の手法は世界中で広く定着し、むしろ、西欧の若い学者たちが、本家の日本以上に、その手法を無反省に使うところがあるという懸念さえ示されるようになっている。(参考

少し紹介した、京都学派の田辺元の哲学も、この傾向が強い。西谷啓治は、自然科学からは距離をとり、存在を認めながら、批評の対象とするという態度。これはその師の一人ハイデガーと同一。西田幾多郎は、これらの中間という感じ。

ジョージ・リッツアーの再魔術化論

アラン・ブライマンのディズニー化という再魔術化論

この3名は時間的に、この順番に並んでいるわけですが、比較して明らかなように、ブライマンにまで来ますと、完全に「脱魔術化の徹底」としての「再魔術化」になっています。

もちろん、これはそういう人たちを考察対象に選んだからで、これが社会が魔術から、さらに脱却し続けていることの証拠には、ほとんどなりません。あえて言えば、ユクスキュルの子孫である動物行動学者たち(Thure von Uexküll は実際に子息)や、一部のポストモダン論者の間に、まだ、生気論的なものが、ぼんやりと残っています。そして、どちらかと言えば、今回は取り上げなかった、情報学の関連において、シリコン・チップ上の魂(コンシャスネス)、機械の中のゴースト、として、魔術的なものが意識されている面があります。たとえば、日本ではほとんど知られていませんが、アメリカではTIMEの表紙にまでなった、カーツワイルシンギュラリティ論(参考; 日本人の反応 )などが、この様な「雰囲気」を持ちますが、これも飽くまで「脱魔術化の徹底」、科学技術そのものです。

しかし、リッツアーがその再魔術化論で指摘したように、また、カーツワイルが彼のシンギュラリティ論で主張したように、ハイテクは、まさに魔術そのものになりつつあります。特にサイバー空間の中で、経済合理性を発揮するために、つまり、人間がより高い経済的や軍事的、あるいは、知的パーフォーマンスを達成するために、魔術化の時代と似た世界観をもって行動する必要が生まれる可能性が十分あるのです。そういう話は、アニメの世界では、当たり前に語られてきましたが、すくなくとも日本では、「大人びた意識」からは排除されています。

今回検討した三つの再魔術化論は、実は、この「アニメ的な世界観」が、実は、現実に起こり得る、その可能性を示していると林は考えています。それが人間の文明や社会にどういう意味をもつのか。急速に進歩する生命科学との関係も考慮に入れて、今後の深く考察されるべき大きな問題です。