2014年前期特殊講義「再魔術化」資料 2014.06.01

今回の資料

今回から、Ann Harrington による「19-20世紀ドイツ生命科学における再魔術化論」 Reenchanted Science の解説と検討に入る。

これは実は、ゲーデルの話と、文化圏、時代、内容で、非常に深く、また、密接に関連している。その関連の媒体は、この当時のドイツの科学主義の流れと、それに反対する動きの鬩ぎあいであり、端的に言えば、自然科学的な知的体系(ゲーデルの左)と、人文学的な知的体系(ゲーデルの右)の鬩ぎあい。これの中心にあったのが、今は、ほぼ忘れられており、現在、「発掘研究」が、特にアメリカで進んでいるドイツの哲学の一台潮流である「新カント派」。特に、西南学派の Rickert の

ただし、これもゲーデルが言うような最右翼から見れば、対立概念対全体が真ん中より左の方にあると見えるもの。

Harrington の話を終えて、次の項目(Ritzerの予定)に移る前に、ゲーデルの歴史観との関係を再考することにする。

実は、Harrington の Reenchanted Science を見つけたのは、ドイツの数学史家の講演のPowerPoint で、この本を知ったから。この講演は、これからの19-20世紀思想史を考慮しての科学史の方向を示唆する大変良いもの。

Reenchanted Sicence から

以下、ハリントンの纏め。林の意見ではないので注意。また、一方で、説明に、林の解釈がかなり入れてある。つまり、ハリントンはこう言っているということを、林の解釈のものと林の言葉で書いてある。

ちなみに、ハリントンの本に対して、エストニアの心理学者から、批判が寄せられている。

この著書の Introduction は、印象的にも、本特殊講義で最初に言及した ウェーバー の1918年の講演「職業としての科学」で始まる。今から丁度、一世紀前の1914年に勃発した第一次世界大戦で、当時の新興国家ドイツ帝国は手痛い敗北を経験する。その14年前、ドイツの高級紙フランクフルター・アルゲマイネの社説は、新たな世紀への胸躍る希望を書き綴った。それは、科学・技術により、人間の限界が取り除かれ、「何事も実現される時代」であった。

しかし、その14年後に始まった第一次世界大戦で、英仏の既存覇権に挑戦する新興覇権国家ドイツ帝国が実際に経験した現実は、その科学技術が人類にどれほどの災いをもたらすかということであった。世界最初の戦車により踏み潰される肉体、機関銃により切り刻まれる兵士たち、毒ガスにより失明する多くの兵士たち、塹壕戦の停滞と恐怖に発狂する兵士たち…。

この悲惨から立ち直ることを、思想に求めた学生たちは、ウェーバー のカリスマ的指導を求めた。しかし、ウェーバーが学生たちに告げたのは、「世界の脱魔術化」という現実から脱出する魔法ではなく、その運命に英雄的に耐え続けることだった。

学生たちは、Weber のストイシズムには賛同できなかったが、ウェーバーが語った「脱魔術化」の意味は、それが詳しくは説明されていないにも関わらず理解できた。

1890年代以後、ドイツの言論界では、ドイツ語圏の社会の文化・政治におけるさまざまの問題の背景に、自然科学・技術を背景とする、メカニカルな思考法があるという議論があった。学生たちは、ウェーバーがそれについて語っていることが理解できたのである。つまり、それは人々が互いを機械としてしか考えず、魂の問題を忘れて、ニヒリズムに陥っているという議論であった。つまり、人々は、モラルとか理想 idelalism を忘れ、とくに若者たちにとっては、それは伝統的な価値に基づく文化的教養の衰微を意味していた。若者たちは疎外(alienated)されていたのである。

第一次世界大戦の現実は、若者たちに、戦争の行方が(勇気や大義のような:林が補足) spiritual and mental resistance of men (精神的な心的な耐性?) ではなくて、機械力により決定されることを見せつけた。

この現実の前に、ドイツに広まった反現代・反科学のムードの中で、ウェーバーの講演は行われた。しかし、近代化の問題が、その中心にあるウェーバーの学問的態度からすれば、学生たちが期待しているものは、ウェーバーには明白だったし共感をもっていたが、同時に彼は、学生たちが志向する、反民主的で、反合理主義的な傾向を断固として拒絶していた。その結果、彼の講演は、その精神的痛みや飢餓が、どの様に強くとも、そのような存在の問題(the burning questions of existence)と科学(実は、学問の方がよいが、英語には、それに対応する適当な言葉がないので、science になっているので、一応、科学と訳す。原文から訳せば学問)は関係ないのだと割り切り、ストイックに、それに耐えることを求めたのである。

しかし、ウェーバーが示した、無責任な非合理主義か、悲壮な忍従(grim-faced resignation)という二つの選択肢以外に道を求めた自然科学者たちがいた。それが、このハリントンの本のテーマである、自然科学的学問の中に、「失われた価値」を見出そうとした、生物学者、神経学者 nurologists、心理学者たち。

この人たちは、様々な方向性を持っていたが、それを一つの言葉でまとめるとするれば、Wholeness 全体性、いわゆる、ホーリズム Holism の思想。この思想では、たとえば、社会で言えば、粒粒の、離散的な個の集まり以上の、連帯とか、血と土(ドイツ右翼の標語、ナチスが使った。ただし、このリンクのウィキペディアでの、ルーツの記述はドイツ語のそれとは矛盾していて間違いと思われる)のようなものを求める。

また、この傾向を持つ人たちは、自然を、そのメカニカルな仕組み・原理からの計算による理解でなくて、直観的に理解できることを求めた。

つまり、科学の限界は明らかになりつつあったので、科学者には、二つの選択があった。ひとつは、自然科学で解明できるものには限界があるとする態度。これはウェーバー的態度であり、それを体現していた自然科学者の代表として、ハリントンは、次の三人を挙げている(林の解説:いずれも、当時の科学界、とくに生命科学系、そしてひいては、全ドイツ科学に君臨した人たち。):

これに対して、ホーリズムの立場から、これらの限界論者に立ち向かった人たちの代表として、つまり、再魔術化という、この本の主人公たちが、

たちで、これ以後、この人たちの思想の紹介と分析となる。